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005. 食卓章   〔アル・マーイダ〕 マディーナ啓示 120章 章の説明 本章は,第112節に,イーサーの弟子たちが最後の聖餐に当り,イーサーに向かって天から食卓が下るよう求めたことにちなみ食卓章と名付けられる。第3節は「あなたがたの宗教を完成し」とあり,ヒジュテ10年聖預言者ムハンマドの最後の(巡礼の)さい下された節である。またかれは,この巡礼後マディーナに帰って間もなく逝去した事実にかんがみ,本章をもってクルアーンの最終の啓示とする学者もある。しかし大部分の話節は別離の巡礼より前の啓示に属し,ユダヤ人やキリスト教徒がかれらの教えから後退したことに対し,イスラームのよりどころが説明されている。前章に続いてユダヤ人を攻撃するが,本章では特にキリスト教徒に関し多く言及され,イーサーの神子説三位一体説を痛撃し,イスラームの礎えを固める途中のヒジュラ4年から10年の間の啓示である。 内容の概説 第1-5節,アッラーに服従,帰依し,人間らしい人間になるよう教えられる。ここに食物に対する掟などを例にあげて,迷信や偏見や憎悪のない真理にもとづく秩序ある生活を営むよう指示される。第6-11節,心身を清潔に保ち,公正で廉直なのは,信心の現われであることが説かれる。第12-26節,ユダヤ人やキリスト教徒が真理に背き,かれらが約束を無視しても,すでに警告は与えられているのである。第27-43節,兄弟殺しに関連する教えは,正しい人間でも災いを被ろ例であり,それに対しては必ずアッラーの懲嗣がある。善行に励む者は悲しんではならないことが教えられる。第44-86節,ムスリムは偏見がなく公正でなければならない。しかし同胞やその信仰に対する侮辱に対しては,イスラームを守らなければならないことが命じられる。第87-108節,良い合法であるものは感謝の念で受けなければならない。しかしそれも法を越えてはならない。また見さかいのない誓い,酒酔い,賭事,神聖の冒(潰?),あらゆる送信,偽証は罪悪とされる。第109-120節,イーサーの奇跡がかれに追従した者たちによって,いかに誤用されたかが記される。 慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において。 1.  あなたがた信仰する者よ,約束を守りなさい。あなたがたに対し,今から読みあげるものを除いた家畜は許される。ただしあなたがたが巡礼着の間,
004. 婦人章   〔アン・ニサーア〕 マディーナ啓示 176章 章の説明 本章は婦人に関する啓示が多いので,婦人章と名付けられる。啓示の年代は3章に続き,その大部分は,オホドの戦役後,74名に及ぶ戦死者によって生じた寡婦<かふ>の結嬉,離婚,遺産相続ならびに孤児の保護など,主としてこれら当面の問題に関する啓示である。戦後の収拾のために下った啓示が,後年に至るまでムスリムの日常を律するものとなった。なおオホド苦戦の一因となった,いわゆるにせ信者に関する問題,さらにイスラーム社会の中で,公然と反抗を続けるユダヤ人の問題か扱われ,イスラーム社会の秩序に関し教えられる。 内容の概説 第1-14節,人間はすべて平等であるというイスラームの見解から,婦人や孤児への敬愛ならびに家族関係上の諸係累者の権利遺産の分配,家庭生活の連帯責任が説かれる。第15-42節,家庭生活の品位の高揚が強調される以上,婦人の名誉を重んじ,婚姻・財産およびその相続上の諸権利が尊重される。この善意の原則は,大小すべての問題に適用される。第43-70節,マディーナ時代の初期,イスラームはまだ宗教として固まらず邪神に感わされて,アッラーの道をはばむ者の勢力が多かった。そこで人びとは,信仰に忠実に使徒の権威に服し,かれに従うよう強く要求され,そこに,自然に輝かしい同胞愛が生れる。第71-91節,無我の同胞愛の下に喜びと悲しみを共にし,敵の悪計に対しては自衛の機構を固め,アッラーの外には何ものをも恐れず,努力奮戦して一歩もゆずらず,偽善と背信から正義を守る。ただし自制して秩序に服する者に対しては,無情の追求はない。第92-104節,ムスリムは,平時でも,非常時でも注意深く用心するよう教えられる。また安全な地に移住することを勧め,また人道上,宗教上の義務は戦時でもおろそかにすることは許されない。第105-126節,およそ正義は,善行をなすことにより保障される。また邪悪は,無知,誤った指導,欺瞞〈ぎまん〉,アッラーの秩序の無視による二心あるものに対し,すべての邪悪を回避してアッラーヘの信仰を深め,言行を強く正しくするよう教えられる。第127-152節,婦人と孤児を公正に待遇すべきである。実に信仰は,公正,謙虚,穏やかな言葉となって現われる。また使徒たちの伝える真理の教えの間には軽重はない。アッラーの
003. イムラーン家章   〔アーリ・イムラーン〕 マディーナ啓示 200章 章の説明 第32節に,ムーサーその他多くの預言者を輩出した,イムラーン家のことについて述べられるにちなみ,イムラーン家章と名付けられる。本章の主題は前章の続きでそれとは異った角度から,バドルとオホドの両戦役に関連して考えられる。バドルの役は,ヒジュラ2年(623)完全に武装した一千のマッカの軍勢に対し,聖遷したばかりのマディーナがわは,装備も全くないわずか3百余の劣勢で,これをマディーナの約150キロ東方にあたる,バドルにおいて迎撃して大勝を博し,イスラームの地位が初めて確立された記念すべき戦いである。またオホドの役は,バドルの役の翌年,マッカ側は雪辱のため,3千の兵を率いてマディーナに進撃して来た。これに対し聖預言者ムハンマドは,約1千の兵をもって,マディーナ市郊外のオホド山麓でこれを迎え撃った戦いである。その時,にせ信者のアブドッラー・ビン・ウバイが,辞を設うけて手兵を率い後退したのでわずか7百の軍勢で苦戦し,側面に配陣されていた弓隊が,聖預言者のかねての命にそむいてその持場を離れたため,敵の騎兵がそこを通って背後を突き味方は大混乱に陥り,多大の犠牲者を出し,聖預言者自身も負傷したが,やがて敵軍が退陣したので,わずかに難をのがれることができた。本章は啓典の民,すなわちユダヤ人やキリスト教徒の宗教史的概説から,新進のイスラームの人びととの生活態度とその法令に及び,また真理のために奮闘を必要とするときに際し,(イ)新しい光明を受け入れた,キリスト教徒の場合の義務が強調される。(ここにいうキリスト教徒とは,主として前章の後段に見るユダヤ人をさす)。また(ロ)バドルおよびオホドの戦役において得た諸教訓。ならびに(ハ)ウンマに対するムスリムの責任が,内面的またその対外関係の両面から述べられている。 内容の概説 第1-20章・アッラーがこの啓典を啓示されたのは,以前に下された啓典を確証するためであるから,深い尊敬の念をもって受け入れてその理解につとめ,また不信者たちが,真理を受け入れ難くしている根底の動機を排撃する。第21-30節,啓典の民の持つものは,完全な教えの一部にすぎない。かれらのうちクルアーンを拒む者あれば,信者はそれと親密な交際をすることを避けねばならない。第31-63